12月11日モーニング娘。の武道館公演をライブビューイングで見た。今年の秋ツアー We are morning musume. は11月21日の武道館公演に行っていたので二回目である。一回目は席が良すぎて目の前にメンバーがいたこと、アルバム未聴だったこと、田中れいな・高橋愛・道重さゆみ・辻希美のインパクトが強すぎたことにやられて実はあまり覚えていない。今回の12月11日の公演も行く気マンマンだったがチケットが手に入らず、かわりにライブビューイングを申し込んだ。
ちなみに11月21日の公演では、超絶前の方で双眼鏡を見ていたら、「A B C D E-cha E-chaしたい」の「kiss」のところで小田さくらのキスを眼前間近で見てしまい大変なことになったことだけは特記したい。
今回のライブ、まじ良かった。モーニング娘。は大好きなので基本的に褒めることしかしないけど、毎回毎回ライブを見るたびにどこかしらが進化していて、その都度ええやん! と思っている。2017年はその進化が顕著な年だった。春ツアーのThe inspiration! で新メンバーが入り新しいモーニング娘。を見せてくれたと思ったら、秋ツアーでその完成形を見せてくれた。新メンバーが入ったフレッシュさもありながら、現メンバーの花が開いたような優しく香り立つ色気を感じた。プラチナ期とは違った色気。プラチナ期は一種ドラッグクイーン的な、何も言わないまでもボーンと見せつけてくるような、ある種押し付けがましいような堂々としたセクシーであった。しかし今はセクシーというより色気である。見せつけてくるのではなくこちらが嗅ぎ取ってしまうような、お花の香りのような色気なのだ。つまり、みんな大人になった! 今回の公演で印象に残ったのは、譜久村聖・生田衣梨奈・佐藤優樹・小田さくら・飯窪春菜・横山玲奈である(多い)。
今回の公演のMVPに譜久村聖を推したい。彼女は本公演でパフォーマーであることとリーダーであることを見せつけた。パフォーマーとして、一曲目の「わがまま気のまま愛のジョーク」で目に涙を浮かべながらも気高く誇り高く、その大きな身体を活かしてマントを翻していた。その威厳と余裕はまさに”Her majesty”である。何よりも声だ。今回彼女は声に力が出た。つんくさんもそれを感じ取っているかのように、アルバム曲では彼女のフェイクパートが増えた。また「五線譜のたすき」の「どれほど」のパートでは”We are the world”ばりの力強さを見せてくれた。私は彼女の声に往年の浜崎あゆみを感じた。「evolution」あたりの、尖ったダイヤモンドのようなクリアな歌声、それを届ける意志の強さ。今回の彼女の歌声は、絶頂期のあゆっぽかった。
そして彼女はリーダーであった。彼女が森戸知沙希について言及した時に、ちぃがぴょんと飛び跳ねて嬉しそうにしていた。ちぃはカントリー・ガールズにいた頃はももち先輩=大ききな存在にひたすらついて行っていたので、モーニング娘。のリーダーについても、同じように大きくて背中を見てついていくべき存在だと認識していたんじゃないだろうか。そしてそのリーダーは、ちぃが加入した時にただ「なんかわからん悲しみ」をたたえながら「わからないよね」と言ったのである。譜久村聖はちぃのカントリー・ガールズとももち先輩というバックグラウンドを思ってそう言ったのだろう。この時ちぃはどう思ったのだろう。この公演はちぃにとって初ツアーでもあるが、同時に工藤遥が卒業するツアーでもある。あの時、工藤遥が卒業するという最後の最後に、譜久村聖がちぃを褒めた。ちぃにとって、初めてリーダー譜久村聖がちぃを見た・認めてくれたと思ったのかもしれない。いつも私は彼女にリーダーを感じない(いい意味で)のだけど、今回だけははっきりと、リーダーを感じた。
生田衣梨奈について、私はスキル厨だし線が細い顔がそんなに好きでもないので、絶対にハマらないと思っていたのに、なぜか毎公演毎公演、目に留まり、笑ってしまう。今回も相変わらずリズムはドスドス、歌もワーワー、ダンスはガクガク(メドレーのつなぎでは感電してるみたいだった)で、髪の毛ざんばらのまんまで目細めてイーっとするキメ顔もだんだん一種のお約束芸と化してめちゃくちゃ面白くなっているのに、なんかずっと見てしまう。「Mr.moonlight」は工藤遥のための曲のはずなのに、私はえりぽんさんばかり見ていた。牧歌的で、すかーんとしていて、あったかくて、小林旭みたいで、動くたびにそのモリモリ筋肉が見えて、MCで喋っているメンバーを見つめる顔はハシビロコウみたいだった。私はえりぽんさんに動物園の動物たちと同じ気持ちを抱いている。変で不思議で面白くて、なんかかわいい。いつの間にか黄緑色を振ってしまう。「恋は時に」の牧歌的な歌唱と、「ジェラシージェラシー」のキメ顔が印象に残った。「one two three」もフルでやればよかったのにね(15秋ツアー Prism のone two threeの「る」が大大大好きです)。
今回、飯窪春菜にもそのえりぽんさんみを感じた。「night of tokyo city」のイントロの「タッタッタ」あれは絶対見て欲しい。最高だ。あ、小田さくらにも「theマンパワー」の「ミステリアス」で同じことを感じた。いつもは魅せられて感嘆するばかりであったので、意外でかわいかった笑。
小田、佐藤は春ツアーで驚異的な変化を遂げたので、今回の秋ツアーは驚きというよりは安定を感じた。小田は本当に堂々としていて、見ていてとても気持ちがよく、時に徒花で時に天使で目が離せない。佐藤も抑揚等でちょいちょい小技を差し込んでくるので、見ていて飽きない。アルバム曲ではパートが増えていた。
横山玲奈は末恐ろしい子どもである。表情がどの先輩よりもできている。加入すぐはダンスと歌で精一杯、とても表情には気を使ってられない時期のはずなのに、彼女は曲ごとに表情を変えるの。秋ツアーのリゾナントブルーの表情を見て欲しい。まじで「悲しみがこだま」しているから。
さて、工藤遥の卒業である。工藤遥なんてどうでもよかった。可愛いとも思わなかったし、男役も上手いとも思わなかったし、パフォーマンスの良さも感じなかった。私はスキル厨もしくはタヌキ顔好きなので(えりぽんさんのぞく)工藤を見ても全く琴線に触れることがなかった。「一般受けが良いから工藤をもっと出すべき」という意見に全く賛同できなかった。そのまま工藤遥が卒業発表をした。「まじか。でも他のメンバーじゃなくてよかった」というのが最初の感想である。その調子のまま、卒業公演を迎えた。工藤遥の卒業に実感が湧かなかったし、湧いても多分全然悲しくないんだろうなと、ライブビューイング会場でOAのつばきファクトリーを見ながらまだ思っていた。
しかし公演中盤の「Natureis good」で、工藤遥の卒業は私にとっての出来事ではなくて、メンバーにとっての出来事であることに気付かされた。曲終盤でステージ上部に立っている工藤遥に向かって、メンバーが客席に背を向け応援する振り付けがある。私はメンバーが、特に譜久村聖と牧野真莉愛が足元からブンブンと手を動かしていた。持てる力を全部注いでいた。もはや振り付けではなく本当の応援でであり、工藤の門出を祝っていた。エモい。エモすぎる。泣くつもりがなかったのに、ここで泣いた。私は応援というものが何なのか、この曲のこの振り付けで初めて知ったのである。そして「君さえ居れば何も要らない」の石田亜佑美の「目をキラキラさせて僕に語った君の将来図は」のパートだ。石田の目が熱くて純粋で真っ直ぐすぎて、あの場で本当に「僕」であり、工藤遥は「君」だった。歌詞通りだった。
工藤遥は私にとってどうでもよかったのもしれないが、私が好きなモーニング娘。のメンバーたちにとって、とても大切で大好きな存在だったのだ。
アンコール明けのメッセージでも工藤がメンバーにとっていかに大きく重要な存在だったかが各メンバーによって如実に証言されていた。
羽賀朱音はひたすらファン目線で工藤遥の美しさを讃えていた。身近にいるメンバーにオタク的な供述をされて一挙手一投足を観察されることについては気持ち悪い以外の何物でもないと思う。しかし工藤はずっと笑顔であり、その懐のデカさに好かれる理由を感じた。
小田さくらは本物に人前で弱みを見せない。地味に一番号泣していたが、表に映る時はいつも隠して笑顔でがんばっている。小田はもっとびゃーびゃー泣いてもいいし、ギャーギャーわめいてもいいと思う。
生田衣梨奈は、今までのモーニング娘。にいた工藤へではなく、旅立つ工藤へ向けたコメントをしていた。今のモーニング娘。内で最年の在籍であり、20歳を過ぎているえりぽんさんが、18歳という若い時期に進路を決めることについてポジティブな意見を発したことは驚異である。また、工藤を見て進路を決めようとするファンについても言及しており、そこからえりぽんさんのアイドルへの思いについても伺えた。いつもコメントがグダグダになるえりぽんさんが、あんなに理路整然に言えるとは。自分のヴィジョンが明確だからこそ、他人のそれについてもきちんとしたアドバイスが言えるのかもしれない。旅立つ人へ、古巣への未練を感じさせない大変に洗練されたメッセージだった。
石田亜佑美は一転してモーニング娘。の工藤への惜別が主だった。嗚咽を混ぜながらの「辞めないで」は誰もが泣いたと思う。私も泣いた。あの声は、私は今回の石田以外では不謹慎かもしれないが、他に葬式くらいでしか聞いたことが無い。非常に切実な、寂しい叫びのような吐露であった。石田は小言が多く、クラスのうざい女子みたいなイメージがあるが、本当は誰よりもピュアで熱くてさみしがり屋で、愛された分だけまっすぐに返してくる人なのかもしれない。工藤からの愛情はそれだけ大きかったのだろう。いいなあ。
佐藤優樹については、本人が「心の整理がついていない」と明言したように、メッセージも思いついたままの新宿駅のように複雑なものであった。しかしそんな中で、佐藤は自分のことをしっかりと認識し、「愛されること」についての自分なりの見解を述べている。「なんで工藤は愛されているのか」という疑問から、「自分は自分のことばっか考えている人間」であること、そして工藤が「他人のことばっか考えている人間」であることに気づく。そこから「人から愛されるには人のことを考えなければいけない」ことにたどり着いているのである、自力で! 佐藤は物事を徹底的に考える。考えるということは、言葉という道具を使って物事を認識することである。佐藤は言語能力が高いわけでもないし、しかもそれがめちゃくちゃに絡み合っているのに、その言葉を必死に使い、考える。人間は道具がないとその行動へのモチベーションが起きない(切符がなかったら電車には乗らないし、包丁がなかったら料理はしない)はずなのに、佐藤はその道具をむちゃくちゃに振り回しながらも考え続けるのである。18歳のはちゃめちゃな子どもが、普通はそのくらいの年だったらただ愛されたいだけで承認欲求だけを人に見せるような傲慢なお年頃なのに、そのあやうい道具で愛についての一定の認識を持つに至るまで考えているのである。太平洋をカヌーで渡ったポリネシア人並の凄技と偉業である。「この空間が今も何なのかわからない」、「なんでオレンジだらけなんだろう、なんで工藤がそんなオレンジなんだろう」、「卒業したあと、気づくんだよね。いないって」、等、今後思うだろう混乱と葛藤についてもきちんと認識しているのだ。佐藤優樹すげー。
卒業公演でそのメンバーにメッセージを送るということは、嫌でもそのメンバーの卒業を考えさせることになる。そしてそれに対して一定の見解を出さなければならず、内容は他人にもわかりやすく、「きれい」なものでなければならない。そういう認識がある中、ただ自分の考えたことを考えたとおりに発言するというのは斬新だったと思う。新しすぎて、佐藤優樹の表面的な絡まった言葉遣いだけに反応して笑うファンも多かった。今までは鞘師里保や工藤遥が絡まった言語をほどいて、使うべき道具を指し示していた。もう鞘師も工藤もいない。その点について佐藤は今後正念場となるかもしれない。また、ファンは佐藤の表面的な言語に足を取られることなく、意味することを考えていくべきだ。そしてメンバーも。佐藤の言葉遣いは笑うほど変じゃないと思うので言うまま言わせておけばいい。いちいち引っかかる人は言語許容能力が低く、理解力と想像力がないのである(個人的には佐藤が助けを求めた時石田が「ありがとう」と言ったのも見当違いなんじゃないかなと思う。あそこで言うべきはそういう丸めた感謝の言葉ではなくて、それこそ石田が言ったような「辞めないで」とかそういうものだったのではないか)。とにかく、後のブログからも分かるように、佐藤って工藤を自分の都合に付き合わせてしまったことに大変申し訳なく思っているのだと思う。
佐藤は本人が言うように「思った以上の愛情を注いでくれないと伝わらない超面倒くさい女の子」だし、本音を言おうとすると傷つきたくないからかすぐ顔をそむける。仮に本気で工藤が佐藤に思いを伝えたとしても、疑心暗鬼で毎日聞いてくるだろう笑 本当に、超面倒くさい笑。でも、その思いが本物と確信できた時の笑顔は、何者にも代えがたいと勝手に妄想してふわふわしている。がんばれよ工藤。
工藤遥の卒業について、私はそんなに悲しまなかった。「女優になる」という夢があり、ヴィジョンがある。引き続き活躍を期待させるような気合の入った顔。モーニング娘。からはいなくなるけれども、芸能界から消えるわけでもない。その背中を拍手で送り出せたことに、私は満足している。全然実感が湧かないから、佐藤の言うように後でロスに陥るのかもしれない。