私にとってのアイドル、長い休暇の前日の夜整えられたふかふかのベッド、旅行の日の朝、暖かい海、快適な車、整理整頓された家。

全てが終わって眠りにつくとき、ふとアイドルの顔を思い出す。さらに身体が弛緩し、笑みがこぼれ、心がリラックスする。
落ち込んだとき、焦っているとき、アイドルの顔を思い出す。硬直した身体が緩み、動けるようになる。

いついかなるときも、アイドルを見ると心がhappyになる。

アイドルにとってのオタクは、月曜の朝、満員電車、つもりにつもった仕事、話の通じない交渉、1円足りない小銭、1ヶ月掃除していない部屋、積年の歴史が詰まった満杯のガレージ。

全てが終わって眠りにつくとき、ふとオタクの顔を思い出してしまったら身体が硬直し眠れなくなるだろう。落ち込んだとき焦っているとき、さらに追い討ちをかけるのはオタクだ。なぜならオタクは落ち込んだとき焦っているその原因そのものである場合が多いのだから。

この不均衡に気付いて、なんか最近しんどいのだ。お金でそのバランスをとっていることになるんだろうが、そのお金は果たしてその対価を償えるほど足りているのだろうか。 名声は足りているか。自己実現できているか。後悔はしていないか。飯は食ったか。ちゃんと寝たか。生きていられるか。

オチはない。

(続き)

アイドルとオタクの不均衡性について嘆いていたら、某超絶国民的アイドルグループのメンバーが結婚の発表をした。

TwitterのTLは、そのグループのそのメンバー自体を推している人はいないが、感受性の高いオタクの阿鼻叫喚でいっぱいになった。

勝手に引用する。
「かなしいとき〜〜かなしいとき〜〜二宮和也と伊藤綾子が乗り越えた「困難」は私たちのことだって気づいたとき〜〜」
「ヲタクを続けた先に幸せが待ってるわけでもないのに汗水流して稼いだお金を全てアイドルに貢いで一瞬の幸福を得る人生に果たして意味はあるのだろうか」

上記は先日私が嘆いた内容と相似しているのではないか。私にとってのパラダイスは、彼にとっての𝐅𝐔𝐂𝐊𝐈𝐍' 𝐇𝐄𝐋𝐋だし、彼にとっての𝑪𝒖𝒑𝒊𝒅は、私にとっての𝐁𝐞𝐞𝐥𝐳𝐞𝐛𝐮𝐛なのである。結婚となるとこの非・対称性がより顕著に現れる。本当につらみだ。

「25歳永遠説」のハロプロは、本当はファンに優しいのかもしれない。25歳でキッパリお互い夢を見るのをやめて、それぞれの道に進むことができるから。

余談だが某超絶国民的アイドルグループは、「活動休止は無責任ではないのか」という記者の質問に対しての返答「「無責任」というご指摘に関しましては、我々からの誠意は、およそ2年近くの期間をかけて、感謝の思いを伝えていく期間を設定した。これが我々の誠意です」といい、今回の結婚発表の「ここで一人の男としてケジメ」をつけたといい、ワードの選び方が反社のようではないか笑 私はなぜかこのグループを全く好きになれなかったのだが、今理由がよくわかった。あの人たちは、ヤンキーの集まりなのだと思う。